愛知県議会議員 神谷まさひろ

東陽町ホンネの日記

2021年3月8日(月)
博報堂の元クリエィティブプロデューサーで、私の尊敬する[ひきたよしあき]先生の書かれたコラムです・・・

もうすぐ3月11日を迎えます。
日本人として、忘れてはいけない日です。

私たちは、自然の圧倒的な力に
恐れ慄き、ひれ伏してきた民族です。
自然が厳しければ厳しいほど、
その力に圧倒され畏敬の念を抱く。
その力を神と崇めて畏れ、
しかしその「自然の恩恵」によって
生き、かつ生活している。
それゆえに、命を奪った海を
憎もうともせずに手を合わせるのです。

この世界には、人間一人ではどうしようも
ないことがある。
だからこそ、私たちの社会は、
和を重んじ、人と人が和やかに
支え合って生きる共同体を昔から
目指してきたのです。

我々は砂漠の民とは違います。
遊牧の人々とも違います。
自然を畏れ、自然を崇拝し、
山に桜が咲けば、神様が降りてきた。
実りの季節には、豊穣を祭りで祝う。
これを長い間、幸せと思い生きてきた
のです。

「自助」
を総理はめざせという。

しかし、先の災害で、家族も土地も
奪われた人に対しても、それを言うの
だろうか。

コロナ禍で、必死に働いてきた
店を閉じなければいけない人に
向かって、言うのだろうか。

「そんなことを言ったって、
創意工夫で事業を伸ばしている
人もいる」と言い返されるけれど、

それが果たして日本国総理大臣の
言葉、それも3月という誰もが
自然災害の恐ろしさを再確認する
季節に放つ言葉なのだろうか。

もし本当にそれが信念ならば、
被災地の人の前で、
コロナで職を失った人の前で、
困窮の末に自殺した家族の前で、
「自助」を訴えてみてほしい。

菅総理に言いたいのは、
言葉もまた自然同様に、
畏れの対象であり、舐めてかかれば
それ相応の力でひれ伏すはめになる
力を秘めているということです。
舐めちゃいけない。

私は、この意見には全く共鳴しません。
Schooで中田さんの言われた
「支え合う」
という言葉に寄り添います。

3月11日を前に、我々は一体どうして
こんな言葉を許しているのか。
真剣に考えるべきではないでしょうか。

次に大きな災害がきたとき、
「自助」
を信念とする人をトップにおいておくことが
本当にふさわしいのか。
自民党の皆さんに、真剣に考えてもらいたい。
彼にひれ伏し、何も報じないマスコミにも
問うてみたいものです。

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