愛知県議会議員 神谷まさひろ

東陽町ホンネの日記

2019年5月2日(木)
刈谷市歴史博物館に行きました。前回訪問したのは県会議員選挙前の3月14日、内覧会の時でしたから、企画展である[初代刈谷藩主 水野勝成展]を見るのは今日が始めてです。

この刈谷市歴史博物館についての評価を私がすると、どうしても身びいきになってしまいますので、読書量の多さと文章力の高さに私が常に一目置いている、となり町に住むTさんがブログにおいて客観的に評価して下さっていますので紹介します・・・

 令和元年の初日、東海は雨だった。慈雨と考えればこれもまた善し。使い古されているけれど「雨降って時(代)かたまる」というところか。

 そんな雨の中、ワシャは隣町の刈谷市歴史博物館を覗いてきた。この3月にオープンしたばかりのほやほやの施設だ。どんな施設を刈谷市が造ったか、こっそりと調査に行ってきた。

 刈谷市は城下町である。刈谷城(亀城)から東へと発展した町で、その核となった城の本丸跡がいい感じで残っている。ワシャは「城跡好き」を自認していて、上物にはあまり興味がない。それでも一般の人よりも「城好き」なんだけどね。それでも、刈谷城本丸は城を再建したほうがいいと思う。まず街のシンボルになるし、水野勝成を始めとして、市民が歴史に興味を持っている。「城のある街」というだけでロマンが漂うではありませんか。必ずやシティープロモーションに使える強いネタとなること間違いない。その先鞭ということで、「刈谷市歴史博物館」が造られたのだと思う。まずはご覧あれ。

 建物の外観である。遠目には丈三建ての古民家を思わせる風格を持っている。高くそびえていないところにセンスを感じた。おそらくは本丸とのバランスを考えた結果ではなかろうか。博物館の南に駐車場があって、駐車場と館を隔てる樹木が植わっている。これはまだ植えて間もないので大きくない。だがこれが何年かたって大樹になると、とても雰囲気のある場所になることだろう。建物を造るということは、10年20年、あるいは百年先のこともイメージしながら造らなければならない。その点で、この建物は先々が楽しみになる要素を多く持っている。


 さて、中に入ってみる。入口に立っても中が見えない。これは、どこの施設でもそうなのだが、ガラス張りで中を見通せるようになった施設は、今風の施設ならいいのだけれど、「歴史」をテーマにした建物にはいささか似合わない。ここは中を見せない重厚さが活かされていると感じた。

 中に入ると、エントランスが建物の南側に帯状に広がっている。片流れの高い天井が木の胴縁で構成されている。これもいいねぇ。PFIとかいう民間資金導入で造った施設は、全体にチープ感が漂うのだが、しっかりと予算を組んで確かなものを造れば、こういった重厚感のあるものができるのである。まぁ市民性の違いといえば違いなのだが、時のトップのけち臭さみたいなものがあからさまに出てしまうので、施設建設というのは恐ろしい。本当にケチな自治体では、建て直すこともせず修繕修繕に明け暮れて、結果として新築を造るよりも金が掛かってしまった……なんていう「安物買いの銭失い」といった情けないところもある。どことは言いませんがね(笑)。刈谷市はマヌケな自治体を真似しなくてよかったね。

 エントランスに向かって右に「お祭りひろば」なるものがあって、暗い入口を潜っていくと刈谷の山車や万灯の光が充満する煌びやかな空間が現われる。2階までの吹き抜けになっていて、この迫力はいかばかりであろうか。祭の音も再現されていて、ここにちょっと腰かけられる椅子でもあったら、癒しの空間としては絶好の場所になるだろう。刈谷の祭りに縁のないワシャですら、この空間なら1~2時間、光と音に抱かれて過ごすことができる。上等な瞑想の空間となるだろう。

 エントランスの北側にある「講座室」では企画展の関連イベントで「水野勝成伝~“鬼日向”とサムライたち」をやっていた。寺沢武一の弟子というから、手塚治虫の孫弟子にあたる正子公也氏の大型パネルに描かれた色男過ぎる戦国武将が描かれている。これもまた善し。

 現在、刀剣女子なるものがブームだそうだが、そういった方向性からも色男の戦国武将を並べておくのも悪くはない。それにね、いい女を揃えておくのも悪くはないですよ。実際にパネルの中に「井伊直虎」や、名前を忘れちゃったけれど馬に乗った凛々しい女武者の絵がありましたよね。そもそも刈谷の姫君たちはその美貌をうたわれた。そのことは磯田道史さんも太鼓判を押している。今回の正子氏に依頼して、戦国の女たちをずらりと並べて見せるのもおもしろいかも。

 事務室の横にある階段を上がると右手はお祭り広場を2階から見下ろせるスペースとなっていて、これはこれでおもしろい視点である。山車の上部なんて普段はなかなか近くから見られるものではないですからね。こういった視点を取り込んだところは、高山の山車会館に勝っている。

 階段の反対側が歴史ひろばと企画展示室の2つの展示スペースがあり、歴史ひろばは常設展示で刈谷市の縄文時代から近現代までをコンパクトにまとめてある。

 企画展示室は、まさに「水野勝成展」で、ここは学芸員か解説員、あるいはワシャ(笑)といかないとちょいと難しいかなぁ。

「織田信長朱印状」とか「豊臣秀吉朱印状」、「小牧長久手の古戦場図」とか「関ヶ原合戦之図」とか、内容を知っていて、背景を熟知するものが解説をすると、とたんに歴史ドラマが拡がってきて、面白さが百倍になるんだけどね。

 せめて古文書の横に小さくてもいいので訳文を並べると理解しやすいと思う。もちろん図録には巻末に「資料翻刻」が載せてあって親切なんだけど、それすらも漢文表記なので、現代文にしておくことが一般の市民をさらに歴史の世界にいざなう好手ではないだろうか。
 
 最後に、エントランスにもどって、木製の椅子に座っていると、愛嬌のある職員が声を掛けてくれた。ワシャが胸元に付けていた「チコちゃんバッチ」に反応をしてくれたのだ。

「可愛いですね」

「可愛いでしょ、チコちゃんに叱られないように自分へのいましめにつけているんです」

 こういうたわいのない会話のできる職員は優秀だ。もちろん他の係員も親切で対応がよかっなぁ。しつけのいい職員ばかりだった。

 雨なのでそれほど混んでいなくて、居心地のいい施設だなぁ……なんてことを思いつつ、庭を眺めてぼんやりしていると、あることに気がついた。

 ここに座って見ると、駐車場が見えないんだな。ちょうど城の石垣のように積まれた横長の石積みで、野暮な景色が遮断されている。そこに樹木が植わってエントランス前の庭をいい空間に仕上げている。

 石垣は段違いになっている。その2本ともがエントランスに平行に構築されている。手前のほうで5~6m、奥のほうで10mくらいかなぁ。

 そこに向かって砂利が敷き詰められ、その砂利の中に10本ほどの花崗岩が線のように、やはりエントランスと石垣に平行になるように並べられている。

 おもしろいデザインだな。どういう意図があってこのようなデザインにしたのだろう。係員に聞いてみたが、「さぁどういう意味があるのでしょうか」という答えだった。

 むふふふふ。チコちゃんは知っている。石垣は刈谷城の石垣を模している。そして庭は、衣が浦、海をイメージしている。この石の連続した並びは、波を表していて、平たい石の線の間にときおりごつごつした面を見せた石線がある。これが白波を立てている潮だ。刈谷城の海に面した石垣に打ちつける波、これをイメージして造られた庭ですよね。

 ううむ、センスのいい建物を造られると、近隣市のワシャとしてはちょこっと悔しいのだが、がんばってワシャらのところもセンスを磨こうとあらためて思ったのだった。

▲TOP