「神谷さん。昨年の10月に君のFbで刈谷東中学校の校訓プリキュー精神誕生に関するやり取りがあったのを見ました。その件について当時の石川校長先生はこのように投稿していますので参考にして下さい」と言って、ある初老の男性が1枚のコピーを手渡して下さいました。
それは創立50周年記念誌に石川校長先生が投稿した文章でした。そこにはプリキューの誕生として冒頭に「昭和39年度の卒業生(39生)の三年九組(39組)から生まれ、これが学年へ、そして全校の実践運動として展開したのがプリキュー運動である」と記されていました。ちゃんと39年度卒業生の3年9組が始まりであると石川校長自身が書いておられるのです。
私は昨年10月のHP・Fbにおいて、「石川校長の海外教育視察報告の中で、英語ではプリーズ・サンキュー・エクスキューズミーの三語で世の中が上手く回っているという話を聞いて、その合成語である『プリキュー精神』が生まれた」といったことを書きましたが、どうやらその前に、39年度の3年9組の皆さんによってその運動や精神は誕生していたようですね。先輩方の名誉のためにも訂正しておきます。ごめんなさい。
西尾市の画伯斎藤吾朗先生のアトリエ展に伺いました。今回展示されていた200号は正に赤富士、縁起が良くてパワーを貰えそうです。この絵の中には大村知事と奥様も描かれていました。
また、今年の干支である卯を描いたのは「豊川寃足神社の風まつり」、そして故郷三河を大切にしておられる先生は、刈谷を描いた作品だけでも2016年に描いた「三河刈谷の万燈祭」のほか「大名行列」「野田の雨乞い笠おどり」「依佐美送信所」「佐喜知庵」などがあります。
絵は『糸』に『会う』と書きます。私も先生の絵を通して人と人との出会いが広がったような気がします。