愛知県議会議員 神谷まさひろ

東陽町ホンネの日記

2021年5月14日(金)

FbにUPされていたひきたよしあき氏の文章。心を込めて「いいね!」を押させて頂きました。

アメリカの哲学者 ジョン・ロールズがこんな言葉を残しています。「平等は、もっとも貧しい人に便益をもたらさなければいけない」この言葉を少しだけ解釈させてもらい、私はこんなふうに考えます。「政治は、もっとも困っている人を助けるものでなければいけない」

さて、コロナ禍が一年も続く世の中で、誰が困っているでしょう。コロナに罹患した人、罹患して働き手をなくした家族、仕事を失った人、働き詰めの医療従事者、コロナ差別を受けている人々、想像するにいくらでも浮かびます。

政治は、本来、こういう人たちを助けるものです。そのために私たちは、働いたお金を税として納めているのです。税金は、私たちのお金です。政治家、あるいは税金の使い道を決める人々は、困っている人たちを救うことを考えねばなりません。その声を聞かなければいけません。

ときのリーダーが、「人類がコロナに勝った証としてオリンピックを実現する」と言っています。なるほど、いいかもしれません。オリンピックをやることで、閉塞感いっぱいの日本が華やぐかもしれないし、苦しみを忘れて、「また、がんばろう」という気になれるかもしれない。

しかし、それを決めるのは国民です。もっと言えば、今、困っている人たちです。コロナに罹患した人、罹患して働き手をなくした家族、仕事を失った人、働き詰めの医療従事者、コロナ差別を受けている人々が、「オリンピックをやってもらって元気になりたい!」と言っているかどうか。そこに耳を傾けないのは、政治ではありません。

海外と人数だけを比較して、「さざなみ態度のことでオリンピックをやめたら世界に笑笑」みたいなことを言った人がいます。

まぁ、添削のしようもないほど汚い心で書かれた文章です。人の気持ちを考えたことのない、幼稚な頭で描いたものだとすぐにわかります。大切なのは、その「さざなみ」とまとめられてしまった人々の声なのです。今、病院にも行けず、自宅で苦しんでいる人。仕事を失い、動けなくなっている人たち・・・

その「さざなみ」を無視して笑笑することに平気な日本人であっていいのでしょうか。私は首を傾げます。

あのラグビーワールドカップを思い起こせば、誰だってスポーツに熱狂し、仲間と勝利を讃えあい、今、生きている実感を共有しあうことを否定しないでしょう。純粋なスポーツは、晴朗なものです。しかし、今現在は、「困った人々」から聞こえるさざなみに耳を傾けるべきではないか。

なにか、悪い宗教にでもはまったのか。念仏のような言葉を繰り返す政府関係者を見ていると、恐怖すら感じます。まともな感覚をもっていたいものです。

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