2008年1月30日(水)
夜6時より1時間ほど刈谷駅周辺で『花と蝶のパトロール』が行われました。これは、刈谷まちづくり会と愛知県飲食社交組合刈谷支部の共催で毎月1回行われているもので、駅前周辺の飲食店・風俗店・スナックなどの飲み屋さんなどの、ママさんや従業員約30名が、駅周辺のパトロールとゴミ拾いをしているのです。
先月に続いて今日は、市会議員としては壁谷議員と私の二人が参加しました。一見するとちょっと怖そうなお兄さんたち(失礼!)も、スナック千恵の尾崎ママの指示の下、黙々とゴミ拾いをしています。「予想外に」と言ったら怒られそうですが、皆さんまじめにそして積極的にこの活動に参加してくださっています。尾崎ママのリーダーシップに因るところも大きいと思います。
桜小路の真ん中にある[お好み焼き 大蔵屋]さんなどは「こういった地域の活動には積極的に参加するように社長に言われましたから、店はとりあえず2時間ほど閉めて来ています」と話てくれました。ゴミ拾いをするまでは北風が冷たく、正直言って「余りやりたくないな」と思っていましたが、まちづくり会のジャンバーを着て、ひたむきにゴミを拾っている皆さんの姿を見ていたら、なぜだか心も体も暖かくなり、私自身も無我夢中で拾っていました。まちも少しは綺麗になったかと思いますが、それ以上に自分自身の心が洗われたような気持ちになりました。
2008年1月29日(火)
今日は後援会主催の『お伊勢さん初詣』です。「事前の天気予報よ外れてくれ!」の願いも空しく、小雨が降る中バス3台で、伊勢神宮内宮・外宮、夫婦岩のある二見浦、そして昼食会場の鳥羽に行ってきました。
今回の参加者の中で、こういった後援会事業に初参加で、これまでコロンブスレポートの郵送などの接点も全くなかった方は2名だけでした。逆に言うと、ほとんどの方がいわばリピーターと言えるのですが、毎年特に目新しい行き先や企画があるわけでもなく、今日のような悪天候にもかかわらず、「まさひろの応援のために」と言って必ず参加してくださる方々には本当に感謝で頭が下がります。
帰りのバスの中で挨拶した通り「これからもぜひ厳しい目でご指導ください」。今日はお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
2008年1月28日(月)
『第7回 (仮称)桜小路連絡会』に出席しました。今日の主たるテーマは地元・商店街と風俗店との意見交換会です。看板や店頭営業の規制については、一歩前進した議論が出来たのではないかと思います。
この連絡会を始めとして、現在刈谷駅前ではまちづくりの様々な取り組みが行われています。ざっと紹介しますと・・・
・地域情報誌Eライフの発行
・駅周辺の花いっぱい運動
・朝市
・グルメマップの作成、グルメツアーの実施
・ごみ出しルールの順守
・一斉清掃[花と蝶のパトロール]
・アクアモールのイルミネーション
・アクアモールの清掃
などです。そして今後取り組む事業としては、先日(26日)の日記で書いたもののほかに、[地球環境にやさしい地域運動]の一環として、「廃油の回収強化」「生ゴミの堆肥化」「レンタサイクル」なども検討しています。今年から始めたアクアモールのイルミネーションについても、来年はその範囲を広げて実施をする予定です。ただ、環境対策と電気の消費につながるイルミネーション拡充は、相反する部分もありますので、非常に悩ましい問題でもあります。ふぅむ(′・_・`)。
2008年1月27日(日)
午前7時から桜区健康ウォーキングで約4Km歩いた後、午前中は息子(中学1年生)の用事で岡崎市へ出かけていました。
昼からは、お袋と子供2人と共に、先日封切された映画
『母べえ』を観に行きました。昭和15年頃、戦時中をたくましく生きる母親の姿を描いた作品です。今日一緒に出かけたお袋の母親、つまり私から言うと祖母のイメージと、『母べえ』とをダブらせながら観ていました。祖父を早くに亡くし、女手ひとつで二人の子供を育ててきた祖母でした。祖母も含めて、あの時代の日本の母は優しくて美しく、そして本当に強かったと思います。[三丁目の夕日]と同様、今の日本が失いつつある人々の暖かさが描かれた作品で、ぜひお勧めの映画です
2008年1月26日(土)
午前中は今日も葬儀に参列しました。喪主は、私が青年会議所に入会して間もない頃、一緒に活動していた先輩です。その奥様が享年62歳でお亡くなりになりました。ご遺族の心中を思うと心が痛みます。心からご冥福をお祈り申し上げます。
午後2時半から4時過ぎまで、『都心交流エリアワークショップ』に出席しました。今日の議題は2つ
1.28日(月)に行われる第7回桜小路連絡会の準備
具体的には、風俗店に対して看板や照明を控えめなものにしてもらうことと、店頭営業の自粛を求めることが決まりました。
2.愛知県の[商店街アクションプラン]への対応
「地域活性化モデル商店街」・「商店街ブランド化推進事業」に、来年度エントリーしようと言うことになりました。具体的な取り組みとしては「愛知教育大学との連携強化」「イルミネーション事業や花いっぱい事業への企業参加」「一店逸品運動と商店街マップ、グルメマップの充実」「好ましい歓楽街の形成に向けたまちづくり協定の締結」などです。
今日の出席者は13名。市役所職員3名、商店街の会員店5名などの他、毎回必ず愛知県警本部の歓楽街対策課からも出席してくださっています。そういった意味では、地域と商店街、行政、警察が一体となった取り組みです。そして更に、イルミネーションなどのイベントにおいては、今回から愛知教育大学の学生さんも関わってくださっています。
今日は、非常に前向きな議論が交わされました。こういった場で、現状に対する批判ばかりをしていても何も生まれず有意義な時間とは感じませんが、今日のような前向きな話し合いの場ですと、未来が明るく感じられ気持ちよく会議を終えることが出来ました。
2008年1月25日(金)
後援会スタッフと、29日に実施する伊勢神宮初詣についての打ち合わせを行いました。今回の参加者は昨年とほぼ同じ97名で、バス3台での旅行となります。昨年は京都、一昨年は奈良と、ここ数年行き先を変えていましたので、久しぶりのお伊勢さんということになります。
集合場所・時間、それぞれのバスごとの参加人数、昼食会場での進行などを確認しました。自民クラブの議員の中で、初詣参加者の最も多いのは、後援会組織がきっちり出来上がっているA議員で、参加者は320名。多くの議員は120名から180名位の参加者で、私の97名という数はたぶん会派の中で2番目に少ない人数ではないかと思います。
しかし、「そんなの関係ない!」。少ない人数だからこそきめ細やかな設営が出来るのです。一人ひとりとじっくり話すことが出来るのです。そんな前向きな気持ちで、参加者全員と有意義な時間を持ちたいと思っています。
ただ、気になる点が1つ・・・。ずばり天気です。一昨年は大雨、昨年は快晴。さて今年はどうなるでしょう? 今日の夕刊天気予報は、唯一その日だけが傘マークとなっています。ところが幸いなことに、これがよく外れるんです。そんなことを期待して・・・u(^へ^;)u。
2008年1月24日(木)
稲垣副市長の任期が今日で終了しました。稲垣氏とは、議員と助役(副市長)という立場で約8年半お付き合いさせていただきました。
出会って半年ほど過ぎた2000年1月。コロンブスレポートで、稲垣助役についてふれたことがあります。退任の日の今日、懐かしく改めて読み返してみますと・・・
『以前より私は元助役である藤井市三郎氏をよく知っていたので、稲垣助役に会って最初の感想は、「藤井さんによく似てみえるなあ。助役さんにはこういうタイプの人がなるものなんだ」というものでした。気さくで、人当たりがよく、どこか憎めないところがあって、部下の声によく耳を傾ける調整型のリーダーシップで・・・。更に、本会議や委員会の答弁では、全ての分野において判りやすく適切な答えをされ、市長の女房役としてふさわしい人物だという印象です。
稲垣助役は、昭和12年生まれの62歳。安城農林高校を卒業して、昭和35年に刈谷市役所に入所後、福祉部長、総務部長、市長公務室などを歴任された後、平成8年1月より助役として榎並市長を支えてこられました・・・・』
8年前に感じた印象の通り、やはり素晴らしい助役(副市長)さんでした。私は、困ったことや判らないこと、どうしても市の幹部に聞いてもらいたいこと(時には愚痴も聞いてもらっていたかなぁっ)などがあると、榎並市長か稲垣助役に直接話をしていただけに、これでそのお二人が市役所からいなくなってしまうことは非常に残念なことです。
稲垣副市長、長い間お疲れ様でした。そして、いつまでもお元気で・・・!
2008年1月23日(水)
冷たい雨が降り続く一日でした。今日は午前と午後の2回、偶然にも同じ式場で営まれた葬儀に参列しました。一人の方は、私の小中学校時代における同級生の奥様が亡くなられたものです。未だ40代、あまりにも早すぎます。さぞ心残りだったのではないかと推察します。
そして、もうお一人は、創価学会の信者さんでした。創価学会の皆様による友人葬という形で執り行われ、参列者のほとんどの方が導師に合わせてお題目を唱和されていました。こういった形での葬儀参列は始めての経験でしたので、この日記に書いている表現が正式な言い方とは違っていたら失礼します。
今日の雨は、大勢の皆様の涙雨だったようです。故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。
2008年1月22日(火)
1年に1度受診している人間ドック・健康診断を受けてきました。今年から、これまでの受診項目に加え新たに、メタボリックシンドローム対策のための腹囲測定が加わっていました。ただ単に腹の周りを測るだけなのですが、この数値が男性の場合85cm以上あって、高脂血症・高血圧・高血糖のうちの2項目以上が複合すると、メタボリックシンドロームと診断されるようです。
私の場合、89.5cmありましたので、今のところ[可能性あり]という不名誉な(?)結果です。毎年この健康診断で何項目か「再検査を要す」といった結果になっていますので、果たして今年は・・・。発表まで気になるところです。
2008年1月21日(月)
刈谷市土地開発公社理事会に出席しました。今日の議案は、国の法律改正に伴い、公社の定款や財務規程の字句を直す議案ですので、特に質問もなくあっという間に終了しました。
土地開発公社は昭和47年に設立され既に35年が経過しました。従って今日の理事会も第133回という歴史のある(?)理事会です。今日の議案の中に、「理事長の辞任及び後継者の選任について」というものもあり、理事長を務めている稲垣副市長が退任されるため、次の副市長に内定している岡田氏が、次の理事長に決定しました。
退任の挨拶の中で「こうした自治体の土地開発公社は、ややもすると隠れた負債があったりするものですが、幸い刈谷市の場合はそういったものは全くない」と言われましたが、確かに刈谷市の場合、極めて健全な資産内容となっています。
2008年1月20日(日)
午前7時より、桜区健康ウォーキング。このメンバーの多くは、昨日の酒井県議賀詞交歓会に出席してくれた方です。そして、昨日は交歓会終了後どうやら2次会・3次会に行かれたようで、皆さん今日はややお疲れ気味でした(?)。
その後、知立の藤田屋さんで行われた竹内舞踊会の『舞ぞめ』に出席しました。私と同じように来賓として出席されていた中部公民館長の岡本さんが「竹内舞踊会、北部や南部では活発にやってみえますが、中部では僅かに1地区[わかば会]しかありません。中部には9地区あるのですが、残念なことに中部から芸能・文化の薫りが消えていってしまいます。」といった内容の挨拶をされました。確かにその通りで、数年前は桜市民館で活動していた[さくら会]も、今はなくなってしまいました。第40回という記念すべき舞ぞめを機に、竹内舞踊会が更にご発展されることをお祈りしています。
その後の親睦会は御無礼して、直ぐに小山市民館へ。こちらは『第10回小山公民館 クラブ発表会』です。例年この会では、来賓の市会議員もカラオケを1曲ずつ歌うことになっています。一昨年は渥美清(寅さん)の物まねをして[男はつらいよ]を、昨年はデュエットで且つセリフ入りの[浪花恋しぐれ]を歌って、「歌の下手な分を、衣装とセリフ・デュエットでカバーする」という精神で臨んで来ました。
そして今年は・・・、私の後援会長であり文化協会会長でもある神谷武さんに、旅姿の衣装を借りていただき、それを身にまとって[旅姿三人男]を熱唱(?)しました。初期の目的である「歌の下手な分を、衣装でカバーする」といったことを十分果たすことが出来たのではないかと自負しています。そして、結構皆さんに楽しんでいただくこともできました。でも、この調子で行くと、「神谷議員=凝った衣装」といったイメージが定着してしまい、来年以降困ったことになりそうです(笑・涙)
2008年1月19日(土)
産業振興センターで行われた『愛知県議会議員 酒井やすゆき後援会 賀詞交歓会』に出席しました。毎年行われているこの会も、参加者の数が年々多くなっているような気がします。私の後援会からも、これまで以上の方が出席してくださり、開催地の地元としては、面目躍如といったところです。これだけの顔ぶれが出席し盛大に行われるこの様子だけ見ると「酒井さん、次の選挙は磐石だなぁ」と思いがちですが、絶対に油断をしてはなりません、とにかく選挙は別物なのですから・・・。
そして、この会のいいところは、普段ご無沙汰でなかなか会う機会のない方と、久しぶりに会うことが出来ることです。今日も時間の経つのを忘れるくらい大勢の方と話をさせてもらいました。[政治活動・選挙を通した戦友との同窓会]といった雰囲気でもあります。有意義な時間を過ごすことが出来ました。
2008年1月18日(金)
支援者の方から「神谷さん、今が旬のコーナー、半年も同じ内容じゃあ[今が旬]じゃなくなっちゃうわよ」とご指摘いただきました。その方、流石に主婦だけあって、食べ物の旬には敏感ですね!確かに更新をちとサボっていました(´・ω・`)。
偶然にも、昨日の中日新聞夕刊[釣りのコーナー]に、鳥羽湾でヒラメが釣れているとの記事がありましたので、早速
[今が旬のコーナー]でもヒラメを特集しておきます。
2008年1月17日(木)
昨日開かれた民主党大会で、道路特定財源の暫定税率撤廃を目指すということが確認され、管さんが「総選挙を勝ち抜くためにもガソリン値下げを実現する」と発言されたようです。一方、その問題に対する政府・自民党の考え方が数日前、我々市議会議員の所にも配布されてきました。
[ここをクリック] 以前、衆議院選挙の時に民主党は、「高速道路を無料にします」とぶち上げていました。あの時も今回も、民主党の打ち出す施策はどうも、有権者受けを狙った選挙目当ての政策に思えてなりません。刈谷市議会議員の立場として言わせてもらえば、「市民の皆様から届けられる声の上位に、道路整備と渋滞緩和がありますよ」という事です。我々有権者は、耳障りの良い施策ではなく、声に応える責任ある施策を期待しているのです。
18日に召集される通常国会。どうやらこの暫定税率維持か撤廃かの問題を含む、租税特別措置法改正案が焦点の1つになる見通しです。選挙目当てでない正に生活者本位の議論を望むところです。
2008年1月16日(水)
毎年この時期には議員研修が行われます。過去には講師による講演で、市町村合併や自治法について勉強したり、議員としての心構えなどを学んできました。また、昨年のように、消防署において『普通救命講習』を受講したこともありました。が、今年は一風変わって、平針にある愛知県警察運転者講習センター(いわゆる、平針の運転免許試験場のことです)において、『運転適性検査』を受けてきました。
昨日・今日・明日の3日間、30名の議員が3班に分かれて、ドライビングシミュレーション、各種の反応検査、ペーパー検査などにより運転適性を診断してもらうのです。私の総合判定は5段階中の4(やや優れている)という判定でしたが、検査を受けながら感じたことは、「昔(若い頃)に比べて反応が明らかに鈍くなっているなぁ」ということです。「その分、無理をせずに慎重な安全運転の励行を」ということなのでしょう・・・。
2008年1月15日(火)
久しぶりの日記です。事務所のPCが壊れてしまったため、「自宅で日記書きを」と思っていたのですが、自宅に戻るとキーボードを叩くことがついつい億劫になってしまいました。すみません・・・反省です。昨日、新しいPCが事務所に入りましたので、これからきちんとUPして行きます。それにしても、慣れないせいかどーも使いづらいのです(×_×)。ふぅー。
さて、その自宅近くにある新田町交差点の拡幅工事が遂に始まりました。東西の道路が、交差点に入る際直線になっていなかったため、とても危険な状態でありましたが、これでやっと改善されそうです。あの道は、小山地区155号線のバイパスとして重宝していますから、便利になって更に交通量が増えることでしょう。
2008年1月12日(土)
今朝、後援会事務所にあったPCがなくなっていました。修理あるいはデータを取り出すため、弟が運び出したものと思います。時々、携帯電話を持って出るのを忘れて、なぜだか外出先でとても不安になることがありますが、それと似たような感覚をPCがなくなった今感じています。「データは取り出せるのだろうか?」とにかく心配です。
介護保険のことで相談を受けました。84歳になる父親が認知症で要介護度4、母親も要介護度2とのことです。昨年新しく小垣江に作られた特養が定員100名であるにもかかわらず、職員不足の影響で実際には70名しか受け入れる事が出来ていないようで、全国的なことではありますが、介護の仕事を希望する方が減ってきた事は深刻な問題であると思います。障害者に対する事業所でもそうですが、報酬が低いことを改めなければ、絶対にこのことは改善されません。国の施策に期待する所です・・・。
2008年1月11日(金)
後援会事務所のPCが遂に壊れてしまいました。昨年末からどうも調子が悪く、コンプマートに勤める弟に「データーが取り出せるうちに新しいPCに代えよう」と話をしていたのですが、今朝、突然画面がプツンと消えて、その後は全く起動しなくなってしまいました。
後援会名簿を始め議員活動に必要な資料・情報がしっかり詰っていますので、「データーが取り出せなかったらどうしよう」と心配をしています(冷汗)。とりあえず、修理のため弟がどこかに持って行ったようですが、暫くは自宅からこの日記だけの更新をするつもりです。
2008年1月10日(木)
政治資金規正法に従って、平成19年分の神谷まさひろ後援会収支報告書を、愛知県選挙管理委員会に提出してきました。
収入としては例年通り、私と妻からの寄付金、そして後援会初詣などを行った際の参加料です。それに対する支出としては、コロンブスレポート発行のための経費、事務所維持にかかる経費、初詣の旅費などの他に、選挙年であった昨年の場合は、[後援会入会リーフレット]の制作費が余分に掛かっています。選挙の前になると、どの候補も必ず配る[後援会入会リーフレット]。選挙のための経費と捉え、選挙における収支報告書に載せてしまいそうになるのですが、あれはあくまで後援会活動の一環なのです。
選管への提出は3月31日までで良いのですが、「いつかやらなければいけない仕事なら、早めに終わらせてしまおう」そんな心意気で、今日届けてきました\(^o^)/。
2008年1月9日(水)
天子神社で行われた『小山寿楽会の新年祈願祭』に出席しました。小山寿楽会というのは、老人クラブのことで、小山地区にはこうした老人クラブが4つもあります。いつものように神前でご祈祷した後、直来(なおらい)は場所を変えて近くの薬師堂で行います。この薬師堂は常日頃、老人憩いの部屋として利用されており、部屋の広さや日当たりなど、お年寄りが集う場所としては最高の環境だと思います。
2008年1月8日(火)
今年に入って初めての[自民クラブ会議]を行いました。そして自民党刈谷市支部の機関誌である『かりや自民』の新年号が出来上がってきました。今回は[刈谷市の財政状況]が特集してあります。「財政的に豊かだ」とよく言われる刈谷市ですが、「いったいどの程度の状況なのか」、具体的な数値で示してあり、後援会の初詣の際に皆様には配布する予定にしています。
その後、市役所の各課廻りです。休みの間に皆様から届けられた声や質問を、それぞれの担当課に、そして案件によっては、今日は市長さんにも届けておきました。正直、実現はかなり難しいと思える回答もありました。ふぅむ。が、ベストとは行かなくとも、なんとかベターな解決で、市民の期待に応えてゆきたいと思います。
夜、家族で、
なばなの里のウィンターイルミネーションを見に行きました。混雑を避けるために平日、翌日は市場が休みで早く起きる必要のないこと、できればそれほど寒くない日、そして家族全員で行ける日という条件の中、長女だけが「彼氏との予定が入っている」とのことで、4番目の条件だけがクリアーされていませんでしたが、その他の条件については、「とにかくこの日をおいて他の日はないだろうという」絶好の条件の下、行ってきました。
400万球の電球による幻想的な音と光の演出は、まるで別世界、夢の中にいるような感覚でした。刈谷から40分も走れば到着しますので、ぜひ1度行ってみては如何でしょう。お勧めです。
2008年1月7日(月)
長かった正月休みも終わり、トヨタ系企業は今日から始動です。そのタイミングに合わせて、大村ひであき代議士と、我々自民党市議団とで、刈谷駅前街頭活動を行いました。代議士がマイクで挨拶をし、その間我々市議団はビラ配りをするのですが、このビラを受け取ってくださる人の割合で、その時々の政治に対する関心の度合いを測ることが出来ます。受け取ってくださる割合が最も高かったのは、なんと言っても郵政解散の前、そして今日は、やや低調といった感じを受けました。
月曜日の朝7時前から8時過ぎまで、こうして街頭をやった後、新幹線で東京に向かう大村代議士、そのバイタリティにはいつも頭が下がります。通算2199回目だそうです。ふぅむ。私の3倍かぁ・・・凄い!
2008年1月6日(日)
午前8時から桜区健康ウォーキングに参加しました。普段は7時にスタートして1時間約4Kmを歩くのですが、月に1度だけ長距離(?)を歩くことになっていて、今日がその日です。
桜市民館を出発して、アピタ前→刈谷市駅前→本刈谷神社→市原神社→熊野神社→秋葉神社→松秀寺→東陽町→桜市民館という行程で13000歩、約8Km、神社詣でのウォーキングでした。雲一つない青空の下、[健康作り]と[神社への祈願]、そして[地域の皆様とコミニュケーションを計ることが出来る]という有意義なウォーキングとなりました。それにしても・・・年初からこれだけ神様にお願いをすれば「今年はきっといい年になるぞ」と思います(笑)。
午後からエルシティ前とアピタ前へ。「毎年、正月休みの最終日はエルシティは賑わっている」と聞いていましたので、期待して出かけました。確かに普段の日曜日より人出が多いかなと感じました。そして、1月とは思えないような日差しで、気持ちよく街頭演説をすることが出来ました。西日に変わってきたアピタ前は、少し肌寒くなってきましたが、約40分間、アピタ前としては今年初めての街頭演説を行いました。
2008年1月5日(土)
正月休みも終わって名古屋中央卸売市場は今日が初市、久しぶりに朝3時半に起きて出かけて行きました。[初市]といっても、まだまだ入荷が少ないため、今日はもっぱら新年の挨拶廻りといった感じです。
午前10時からは総合運動公園で行われた『衣浦東部広域連合 消防出初式』に出席しました。風のない穏やかな陽気の下、出動車両15両、出動人員250名で行われました。式典の中に[音楽隊]の出番があるのですが、この[音楽隊]、衣浦東部広域連合自前の音楽隊で、消防職員になってから楽器を習い始めたという方も結構いるそうです。
終了後はエルシティ前で、平成20年になって初めて、そして8年半の間で通算700回目の街頭演説を行いました。正午頃のこの時間帯は余り人出がないのですが、「風がなく陽気が良いうちに」と思って敢えてこの時間に行いました。話の中心は、12月議会のこと予算要望のことなどです。
2008年1月4日(金)
桜少年野球団の練習始め式に出席して挨拶をさせてもらいました。「今年はねずみ年。十二支の最初に戻ったということで、皆さんの練習においても、原点に戻って基本に忠実なプレーをしましょう。それから、種まきの年でもあります。この桜野球団での経験が将来役に立つような種を蒔きましょう。」このような挨拶だったのですが、小学生には少し難しすぎたかな・・と反省しています。
その後、こちらも恒例となりました『小山公民館鏡開き』に出席しました。毎年必ず顔を出される大村代議士が、C型肝炎に関する議員立法プロジェクトに出席するため急きょ欠席ということになりました。そのため、例年はっぴを羽織って盛大に行っている鏡割りが、今年は簡単にあっという間に済んでしまいましたので、ついつい写真撮影のタイミングを逃がしてしまいました(涙)。その結果、今年は使用後(?)の樽の映像だけです。
2008年1月3日(木)
昨日・今日は家でのんびり過ごしています。「のんびり」って、もっぱらテレビを観て、食べて、寝るといった過ごし方ですので、僅か2日間だけですが、体がなまって体重も若干増えているような気がします。怖くて体重計に乗れません・・・。
正月楽しみにしているテレビに[東京箱根間往復の大学駅伝]があります。団体競技である駅伝、チームメートや母校のため、自らの限界以上の力を出し切ってひたむきに走り続ける姿にいつも感動しています。今日も、手で目頭を押さえていたら、妻がハンカチを差し出してくれました。
途中棄権・たすきを繋ぐことが出来ず・シード権獲得のための10位争い・そして優勝争い・・・今年も色々なドラマに感動しました!この感動を胸に、私も明日から始動です。
2008年1月1日(火)
年が明けて直ぐ、午前0時から御霊神社での歳旦祭に参列しました。数日前の天気予報では雪模様、昼間は冷たい北風が吹き荒れていましたので、天候を心配していたのですが、満天の星空の穏やかな年明けとなりました。
その後3時間ほど仮眠を取って、午前5時からの(社)実践倫理宏正会主催による元朝式に出席です。議員になってから、元旦はいつもこのパターンでのスタートなのですが、これまでは榎並市長さんが桜区在住ということで、私が車でお迎えに伺っていたのですが、今年からその役目がなくなりました。市長さんが交代されたことを実感する瞬間でした。
午後1時半からは天子神社での歳旦祭に参列しました。こちらの方は、厄年の皆さんのご祈祷もあり、その後皆さんの前で新年のご挨拶をさせて頂きました。
「年男の私は今年48歳になります。少しだけ厄年を以前に迎えた先輩として、厄年前後の変化についてお話しします。1つは体の変化です。物覚えが悪くなったり、目が見づらくなったり、風邪をひいても治りづらくなったり、夜無理をすると翌日こたえたり、髪の毛が細くなったり・・・厄年を境に確実に体の変化があります。いつまでも若くないという警鐘だと思って十分健康管理に努めてください。もう1つの変化は、地域での責任が重くなって来るという変化です。地域での様々なお役が廻ってきます。ぜひ積極的に受けて頂き、地域社会における責任を果たしてください。そういった意味では、この後皆様にやって頂く自己紹介は、地区役員の皆様に顔と名前を覚えて頂く大切な機会です。よろしくお願いします。」・・・こんな主旨の挨拶をしました。
実はこの挨拶、昨年も一昨年もずっと同じ挨拶をしています。話をする相手方(厄年の皆さん)は毎年代わってゆきますので、同じ挨拶をしても「あいつまた同じ話をしている・・・」てなことにならずに済んでいるのですが、「少しだけ厄年を以前に迎えた先輩」というフレーズはいつまでも使えそうにはありません(^◇^;)。
市原神社の小嶋宮司が「今年の干支である[子]には、種という意味合いがあります。つまり今年は種まきをする年です」といった内容の挨拶をされました。昨日書いた、細木さんの言っている[種子]という運勢といい、今日の小嶋宮司の話といい、どちらも同じ内容だったので少し驚きました。やはり私にとって今年は、将来に向けた[種まきをする年]なのだろうと思いました。